◇山登り◇ 日光市赤薙山、女峰山へ あかなぎやま:2010.3m にょほうさん:2483m 2008年9月4日 訪問 単独(リハビリ登山) PART II 女峰山〜黒岩〜日光市 (※時間は参考にしない事) |
ハイマツ帯を歩いていくと、花を撮影していた(と、思われる)人が道に上がってきていて、再び挨拶.「目的の花は咲いていましたか?」 彼はやや嬉しそうに「ええ、少し」.それから、二言三言話し、「気つけて」と、前後に別れた.ガレ場を過ぎて少し登ると三角点だった.2,464mの二等三角点だという.展望の期待はとっくに諦めているから、チャチャッと撮ってササッとそこを後にした. 爺が小さかった頃(爺もはじめから爺ではなかったのだ)、実家の神棚の側に枯れたハイマツの枝が置かれて(飾って?)あった.森吉山に登った人から貰ったとかで、何のおまじないだろうといつだったか(故)祖母に聞いた事がある. に、よると、「雷が鳴った時はカヤの中に入り、このハイマツを燻しておけば雷は落ちない」という話.今考えれば迷信そのものだが、子供の時は100%信じていたのだから楽しい.実家ではたしかこのハイマツを「モロビ」とか言ってた様に思う.この独特な匂いを嗅ぐ度にその頃の事を思い出す. |
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■写真左 三角点手前の(北面)ガレ場 ■写真右 三角点 13:25 |
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■写真左 三角点ピークから女峰山頂 ■写真右 田心姫命を祀っている社殿 13:35 |
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*** | 10分と掛からずに女峰山の神社に着いた.ガイドブックなどによるとこの社殿は「田心姫命=タゴリヒメノミコト」を祀っているのだという.ま、その由来説明などは他で調べてもらうとして、頂上はこの祠の左手にある岩峰らしい.誰かいるかなと思ったけど、平日のこんな天気にいる訳がない(と、思った) 500円・・・はなかったので、10円玉3個を置き柏手を1回.頭を下げて頂上に向かった.山名板を撮影して辺りを見回すが、ガスで360度真っ白. |
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■写真左 社殿から山頂を見上げる ■写真右 山頂 |
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■写真左 帝釈山へと続く下り道 ■写真右 唐沢小屋へ下りる道 少し下りた所から振り返って |
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*** | 帝釈山へは西へ続く痩せ尾根を通るらしい.それに続く道は急斜面を下りていてその先は見えない.ガスをいつまで見ててもしょうがないから、社殿まで戻りもう一度お参りして唐沢小屋へと道を急ぎ下って行く.此処からいっきに1800mの標高差を下りなければならないのだ.灌木帯からすぐに急なガレ場となり、注意深く下りていく.ペンキで細かくルートを示しているので、特に危険はないが浮き石が多い.誰も登ってくる気配はないが落石は絶対しない. |
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■写真左 ガレ場 13:56 ■写真右 その途中 |
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■写真左 ガレ場もそろそろ終わり、 道標があった ■写真右 樹林帯へ |
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*** | うんざりするガレ場下りが一段落し、樹林の中に入ると傾斜は緩んできた.やはり、周りに木があると安心である.黄色い花も咲いているし.前方が開けて木々の間からベンチが見えた.ふう〜、やっと唐沢小屋に着いた.時間も結構掛かってしまったが、少しは休んで体力を回復しないと、まだまだ長い道のりが続くのだ.着いた時間が14:15.今の時期は午後6:30頃には暗くなる.まして、下りの後半は杉、桧林だからそこを通る時はかなり暗いだろう.午後6:00頃迄にはデポしておいた駐車場に戻りたい. 書き忘れたが、日光「滝尾神社(白糸の滝がる所)」の駐車場に爺の車を駐め、そこから霧降のリフト駐車場迄長男nobに送ってもらっていたのだ.今回はピストンでなく、ぐるっと回って登山道を下りたところに爺の車がある♪ と、言う訳である. |
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■写真左 ベンチが見えた 14:15 ■写真右 唐沢小屋 立派! |
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■写真左 小屋の内部 ■写真右 小屋の脇に咲いていた花 此処を通り樹林に入る 14:30 |
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■写真左 ガレ場のケルン ■写真右 立ち枯れが多い道を行く |
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小屋の右手に白と黄色の花が沢山咲いている.その脇を通り少し樹林の中を通るとケルンが積まれた目印のあるガレ場をトラバースする.それ程傾斜がある訳でなく踏み後がしっかり付いているので問題はない.しばらく樹林帯の起伏の少ない道を進んでゆく. やがて、「箱石金剛」に着いた.少し上に祠がありちょっと休憩するには良いかもしれない.しかし今日の爺にその暇はない.形の良いキノコもどんどんみつかるが、撮ってる暇もない.早くおりねばならんのだ.暗くなると日光のことだ、天狗が出るかも知れない.ううっ、キノコが・・・・・一個ぐらい撮ってもいいか. ああっ、又きれいなキノコが・・・・. |
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■写真左 箱石金剛 15:00 ■写真右 樹林内の急な下り |
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■写真左 雲竜渓谷が少し見えた ■写真右 前方に開けた笹原が見え 黒岩と思った 15:25 |
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*** | 雲竜渓谷に沿って急斜面を下って行く.しばらく下りた所で木の向こうに一瞬晴れ間が射した.2120m付近だ.僅かに谷の方に回っている踏み後があって、向こうの景色を見るのにそちらへ行ってみた.奥社跡の三角が見える.大鹿落としが赤い壁を鼓舞している.手前、七滝沢が険しい.人間が入れる隙間など何処にもない.我を忘れて見入ってしまった.が、すぐにガスが立ち込め谷を覆っていく.我に還り、気がついて足元をみると此処に突き上げている壁がえぐれていて、つまりハングしている岬に立っている状態だった.身震いは景色の凄さか、足元の恐怖か定かではないが、早々にそこを引き上げ再び急斜面を下りていく. 予想に反してこの斜面は時間が掛かってしまった.間もなく、アーチ(門)を創っている木の間に開かれた笹原が見えた.「黒岩」か? 右はなだらかに斜面になっている.左に赤い土も見える.ちょっと時間が早く着きすぎている感じがするが、これは爺の足が速いからだ(うんうん) が、「黒岩」は正面のピーク右斜面がガレ場になっていたと思ったが・・・ 下りてみるとやはり違っていた.だが、ガスが晴れていれば此処からも雲竜渓谷が望めたのではないだろうか.これは残念だ・・・等と、落胆してる暇はない.笹原の斜面を下りていく.「黒岩」に着いた時は懐かしさと共にホッとした. |
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■写真左 足元を覆う笹(膝より少し上) ■写真右 黒岩到着、ガスで何も見えない 15:50 |
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■写真左 此処からの傾斜は緩い ■写真右 これから横断するガレ場 |
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*** | 此処からは急斜面はもうない.ガレ場をトラバースしてしばらく行くと岩の上に「八風」とだけ書かれた道標が、ポツンと立っている.この頃から雨がポツリポツリと落ち始めた.間もなく笹が刈り払われた樹林内の道になった.笹と道の切れ目の所にキノコを多くみた.「アミタケ」と思われたが、予定時間も過ぎているので、撮らずに先を急ぐ. |
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■写真左 八風(風がとても強い場所だったという事で名付けられたらしい) が、今日は無風だった 16:05 ■写真右 刈り払われた笹道 |
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■写真左 この道随一の綺麗な光景である場所 ガスでもフォトジェニック ■写真右 「白樺金剛」 16:40 |
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行者堂への参道を以前歩いたかどうか記憶にないし、立派な石畳も覚えていない.その参道は雨水が流れ立派な滑沢になっている(笑).敷き詰められている平らな石が極めて良く滑る.転びこそしなかったが2.3度危ない目にあった.歩くスピードを抑え、ゆっくりと歩を確かめながら下ってゆく.長い参道を歩いていて、やっと分岐が見当たらないのに不審に思った.が、暗くなってきている事、前方に人工物の明かりがある事に深く考えもせず石畳を慎重に下りていく. 突然、左に大きな寺院が・・・・「東照宮かよ〜〜、分岐はどこにあったんだあ( ̄□ ̄;)!! 雨はまるで滝.滝は好きでもこういうのはちょっとな〜 太郎杉の辺りにパトカーが駐まっていて、何やら数人の人が作業している.何だろうと思って歩いていると、いきなり15−6cm位の深さの水に足を突っ込んでしまった.豪雨で道路が冠水していたのだ.さすが日光.雨水も濁ってないぞ(と、変に感心) |
見覚えのある「白樺金剛」付近では雨足が強くなってきた.合羽を着込み、刈り払われた笹が覆っている道を歩いていく.道の上の濡れた笹の葉が滑るかなと思ったけど、これが全く逆.濡れた土は滑るが、その上に被さった笹が滑り止めの役目をしてくれるのだ.稚児が墓付近までのかなり長い距離がその滑り止めになっていた.(注意しながらだが)ぐんぐんとばせる.この分では予定時刻通り着くかも知れない.水場で16:45分、稚児が墓に着いたのは17:10分頃、時計とにらめっこだった.此処から行者堂までは1時間弱だろう.そう思うと少し疲れが取れた感じがした. 雨は益々強くなり、道が沢と化してゆく.靴は既に中まで濡れているので流れの中も構わず歩いていく.雨も冷たくなく身体も寒くない.「殺生禁断石」を通り抜け桧林の中を下りて林道に出た時は、ホッとした.17:30雨は殆ど豪雨だがまだ足元は明るい.再び林内に入り尾根筋の下りで驚いた.雨水の流れが幾条にもなって流れ落ちていて、どれが道なのか判らない.暗いからライトの明かりでは遠くまで見通しも利かない.ままよ、とばかりに適当に下りていくと、何かの施設があり通り過ぎて間もなく行者堂に着いた(本当は此処で気がつかなければいけないのだが・・・). そのまま、東照宮入り口に着き、国道に出て大きく回って疲れた足を引きずりながら滝尾神社の駐車場へ向かったが、林道脇の稲荷川が轟音立てて濁流になっていて恐ろしかった.(因みに駐車場へは19:10分着だった) 行き損ねた分岐は、何かの施設あってそこの脇を通った時に、施設に向かって道が登っていたが、もしかしたらそれがそうだったかも知れない.10年前に通った事などまるで覚えていない.都合の悪い事は忘れるという政治家的根性は持ち合わせていないつもりだったが(笑) |