◇山登り◇
那須塩原市
大佐飛山 敗退


                    

横川〜瓢箪峠(泊)〜名無山〜鞍部(往復)

2011年9月28-29日

uzura, 黒yasu & 爺
(時間は参考にしない事)
                           
 魑魅魍魎が集う粋妖怪で(無雪期の)大佐飛山登頂の計画が持ち上がったのは昨年の末.無雪期の「生きている山」へ行きたいと申し出たのは爺.快く山行計画引き受けてくれたのがuzura丼だ.但し彼の場合休みが水曜日という特殊環境の会社(笑).爺は平日休む事に問題ないが、他は参加したくても・・・と、黒ヤス丼が手を挙げた.「おいらは2−3日休んでも大丈夫」と、こちらは羨ましい管理職身分.


 さて、uzura丼の計画だが、当然塩那道路を歩き瓢箪峠一泊・・・と、思ったら
横川から瓢箪峠へ抜けると言う事だった.この辺り、情報は殆どない.最も無雪期の大佐飛山自体、ネット情報はごく僅か.昔はあった横川林道も間違いなく藪化している筈.困難を極めるだろうと思うこのルートをどうして選んだか聞いてみた.「同じ時間を歩くなら塩那道路より、こっちの藪を苦労した方が面白い」・・・これだから、”ヤブスキーuzura丼”と言われるのだ(爆)


 身支度を整え**の脇を歩き白滝沢沿いの林道を歩き出した.2人の足元は何と渓流シューズに渓流スパッツだ.(爺は皮製登山靴に渓流スパッツ)
■写真左
いざ、出発
7:25


■写真右
左に白滝沢(男鹿川)
■写真左
腰程度の笹藪


■写真右
急登する2人

平成3年3月1日発行の地形図には横川からの林道(作業道又は登山道)が表記されている.




片方がどこかで・・・
 横川放牧場を過ぎ左岸林道は歩き易い.男鹿川から白滝沢沿いに林道を分岐しワサビ栽培畑を左に見ながら気分良く歩いていくとやがて白滝沢(上流)右支沢の横断点だが、橋が壊れている.2人は沢靴なので何の問題もないが、爺は登山靴だから沢は水量が多くやや徒渉は困難.そこで、朽ちかけた橋桁に足をかけ橋の上に生えている細い木をつかんで、よいしょと身体を持ち上げた.(掴んだ)木が根っこ毎抜けそうになる.何とか落ちずに橋の上に這い上がるが、やや冷や汗だった.
 林道は尚も上に延びているが、ここからショートカット作戦が始まる.つづら折りで付けられている道(既になくヤブ化)を横断しながら直登していくのだ.1150m付近の明瞭な尾根に取り付き一気に登っていく.笹は腰上だがまだ薄い.所々道形を見つけながらそれを横断し登るに従いヤブが密になりだしてくる.1400m付近まで登るとそれまで急だった斜面は緩くなるが笹藪は更に密度を増してきた.えらいこっちゃー・・・三人で代わる代わる先頭を切りヤブを掻き分けていく.
 1450m付近で(ヤブ化)林道に出たので、その跡が明瞭な所は道を辿る.極太のチシマザサが覆い被さっている所は、トンネル状で潜る感じで歩いていくがこれは意外に捗った.道がほぼ180度カーブする辺りで胸程の密な笹藪に道が消えている.探していても埒があかないので再び直登する事にしたが、この辺りからアクシデント連発.
 まず、uzura丼が装着していたチエーンソールをどこかで紛失.更にコンパスをどこかで見失ったという.ま、彼も爺もGPSはあるし、黒ヤス丼も地図読みは達人域で問題ない.しかし、今度はあろうことか爺に災難.ヤブを漕いでいく前面に大木が横たわっていた.右にも左にも寄りたくない爺は大木に足を乗せた.この後は想像に難くない.左足が流れ、脇腹を嫌と言う程大木にぶつけた.更に重いザックが上からのしかかる.息が止まる程だった.
 脇腹を強く押してみたら痛い事は痛かったが骨の痛みはないように感じた.皆、心配してくれたが大丈夫!と答え、ヤブ漕ぎを続行する.
■写真左
ヤブの中でこの元気


■写真右
道形を探してあっちをウロウロ、こっちをウロウロ
(uzura丼写)
■写真左
瓢箪峠手前
14:30

■写真右
こんばんわ〜とニコニコしながら現れたヨッキレンさん
我々は地図もロクに確認せず、この名無山から右に続く稜線が大佐飛山への稜線と思ってしまった.


ヨッキレンさんは長靴とご覧の通りの軽装.これで横川から林道跡を忠実に辿ってきたというのだからこの人のエネルギーには脱帽だ.しかし、プレハブ小屋での一晩は寒かったらしい(^_^)
 やがて平坦な所に出ると、はっきりした踏跡になりそのまま広い場所に出た.車も通れる程の広い林道が目の前にある.塩那道路に出たのだ.塩那道路からは名無山とそれに続く南稜が大きく見えた.ほぼ7時間位かかり予定より1時間程多く掛かってしまったが、時間的余裕があるので問題はない.これから、大佐飛山への入り口探索を兼ねて水を補給しに行かなければならない.脇腹が痛い事は痛いが意外に疲れはそう多くはなかったのは幸いだった.チェーンソールを片方無くしたのはuzura丼にとって痛かったのだが、、、
 黒ヤス丼が用意してくれたタープを貼り、今夜の寝床をこしらえている時いきなり「今晩わ〜」と声を掛けられ一同ビックリ.振り向くとハツラツ青年がニコニコとこちらを見ている.誰か来る様な所でもないし、き、キツネかタヌキかムジナの類かはてさて幻か? と、それはそれは驚いた.まあ、尻尾もないし足もあるので一安心.「私、廃道レポの○○です」と言われた時、即座にピンッときた「ヨッキレンさん?」「はい、そうですあなたは?」「森吉鉄道での下野爺&雪田爺です」「えーーーっ、こんな所で会うなんて凄い偶然」握手、握手、握手.4人で宴会が始まったのは言うまでもない.しかし、水を減らしてまで焼酎を持ってくるかね、まったく(爆)
 ヨッキレンさんは瓢箪峠にあるプレハブ小屋に泊まるという.適当に別れ、我々はシュラフにもぐり込んだ.もうすぐ秋のこの時期、やはり少し寒い.
■写真左
水場入り口への下降途中、木の俣川方面を望む


■写真右
水場入り口標識
7:15
■写真左
名無山登りはじめの鞍部


■写真右
名無山への藪と急登
■写真左
名無山直下で藪に埋もれているuzura丼


■写真右
名無山、山頂
8:53
  朝、ちょっと遅く起きてしまった.支度をしていると、ヨッキレンさんが今から下山すると挨拶をしてきた.気をつけてと言葉を返し我々は大佐飛山への入り口へと向かう.爺の脇腹の痛みはさほどではない.昨日歩いているので薄い踏み跡も気にならない.グングン下りて水場入り口を過ぎ、名無山の登りに入る.急斜面に一直線につけられた踏み跡は、両側から笹が覆い被さっていて厳しい.笹を掴みながら喘ぎ喘ぎ登る.踏み跡を見失ったりしながらもピークを目指すと木に青いMの字のプレートをみつけた.切り株には名無山の青い山名板がある.樹林の中であまり良い展望ではないが一応樹間から東側と南側(はハッキリ)に稜線が確認できる.
 此処で間違い.何と我々は南の稜線を下り始めてしまった.テープの類も見当たらず、昨日見たあの稜線が瞼に残っていたせいもあるだろう.樹林から少し開けた笹藪帯に入った時、東面に聳える山が見えた.みんなで指を指し「我々はあの山に登るんじゃないのか?」


間違って進んだ南稜から西方面を望む
 痛いロス時間を費やしながら名無山迄戻り、今度は樹林の中を東に向かって下りていくと、時々テープが目についた.笹を掻き分け良く足元を見てみると踏み跡が確認できる.開けた笹斜面では、大佐飛山が手に取る様に近く見えた.
 
 
 額に汗をかきながら10:15分、鞍部付近まで下りた時、後ろからuzura丼(隊長)の声が響いた.「引き返し〜!」、うん!此処まで来て? 目と鼻の先なのに?そう言えばuzura丼は今日中に山を下りなければならない.ま、我々は今日も山にいて大丈夫なんだが、此処はチーム行動が大事、、とばかりに黒ヤス丼に「おしっ、戻ろう!」「うしっ」.


■写真左
振り返って名無山


■写真右
名無山から大佐飛山へのルートを下降中
 残念だが仕方がない.この山はこれ程手強かった.前の日からの藪漕ぎと今日も続いたそれにかなり疲れてはいたが、”非常に残念”という気持ちはなかった.むしろあそこまでやり遂げたという満足感と、さらなる連帯感が生まれていた.それは、まだ余力があった証拠である.又、挑戦できるという気構えが、この時生まれたといって過言ではない.夏の大佐飛山挑戦は、まだ続くのだからして.


写真左:名無山下降途中から望む大佐飛山