捜索の案内人もどき

日光市足尾
立桐沢捜索




                  



2005,8,9 訪問


(時間やルートは参考にしない事)
              
 昨日の出来事が不思議な位夢の中の様だった.ややさぼってしまった後遺症の溜まった仕事を(日曜日なのに)やらなければいけない.もうすぐお盆休みに入る.梅の咲く季節に逝った姪の初盆でもあるからして、秋田の実家では兄が私の帰省を待っている.

 仕事に気持ちが乗りかけた頃、電話がなった.足尾警察署からだった.昨日の(私の)報告で、早速山に捜索が入ったが良く分からないという.一応、電話とFAXで説明した.昨日報告した時、場所が判らなければ案内します、と申し出てはいたのだが・・・やはり、判りにくい様だ.いろいろ話し合った結果、明日(8月9日)案内する事になった.

 午前七時、黒沢(神子内)林道ゲート前で待ち合わせ簡単な打ち合わせをし早速入溪する事にした.取り敢えず(黒沢右俣)出合まで車で行くという.走り出してすぐに橋(私が入溪した場所)に着いたが車は停まらない.「あれ?向こうの方からも沢に入る所があるんですか?」と尋ねたら、「右俣はもっと先だよ」という.「??」、「でも、私は此処から入ったのですが・・」


ゲートで待ち合わせ


沢を登って行く 皆さんは軽登山靴
 此処でやっと気が付いた.黒沢右俣だと思って入った沢は間違えていた.何と言うアホな事だ.昨日、何も無い所を捜索させて無駄な労力を使わせてしまった事を、来ている署員の方に詫びた.「こっちへ入ってもどうせ沢が入り組んでいるから発見は困難だ」と言ってくれたので少しホッとした.総勢5人でこの沢を遡って行った.この沢「立桐沢」というそうだ.  2005年8月9日現地再訪


 順調に遡って行き、いよいよ枝沢が数多く入り組んでいる場所に来た.奥の二俣に着いた時、どっちへ行ったのか判らなくなってしまった.水の量はほぼ1:1でどちらも似たようなもの.署員達をそこに残し見覚えのある場所を見つける為に、私一人で「偵察」に出た.左へかなり行ったが景色に全く記憶がない.支尾根を越えて右へ下りてみた.遡って行くと、見覚えのある二俣があった.あの、鹿のいた場所だ.此処からでは署員のいる二俣は見えない.暫く下り、150m位手前(上流)位にきてから、そこからもまだ見えないが大声を上げたり手を叩いたりして呼んでみた.しかし、何の反応もない.沢は微かな水の音がするだけで、風もないからとても静かだ.なのに、声は谷に吸い込まれるかの様に届かないのだ.

 しかたがないので、見える所まで下りようとした時署員の一人が見えた.大声を上げ、両手を振ってこちらに来るように促した.全員揃って、滝を登り急な沢を遡って行った.やがて、三脚とバッグのあった場所に着いた.すぐに署員の一人が「大腿骨!」と指を指した.苔でも生えているんだろうか、やや緑を帯びたそれは、蔓状の草に覆われていた.そして、何と私が見つけた片方の靴の脇に頭蓋骨があるのを別の署員が見つけた.みんな、軽く会釈している.それに習い私も黙祷した.

 署員達は通常の仕事をするように現場検証を始めたが、私は何もする事がないのでただ立っているだけである.最悪の事態は予想していたという署員の一人は、「これから遺留品の捜索と運び出しをしなければならない.沢の往復は危険なので上から下りて来られるかどうか見てみたい」というので、二つ返事で引き受けた.狭い現場に長くいたくないのが正直な気持ちであったのだ.それ程山歩きに慣れていない年配の署員(課長さん)と一緒に、他の署員を残して一昨日歩いたばかりのルートを登っていった.



署員の一人が涸れ滝をパパッと登って上流を見に




気持ちの良い笹斜面ですが、、、

  人間、こんな時は感傷的になりがちである.尾根に登り、そこの踏み後を辿る時、雷鳴とともに猛烈な雨が降ってきた.同行の署員が静かに言葉を漏らした.「きっと見つけてくれたお礼の感謝の涙雨じゃないかな」.いつもは怖い山の雨や雷も、何故かその時は天の慟哭に思えた.そして、その時から戦慄だけであった私の感情は、「その人」やその人の遺族達への感傷へと変わっていたのに、自分で気が付いた.雨は、私達が半月山Pに続く「中禅寺湖スカイライン」に辿り着くまで降っていた.半月山駐車場に着くと、雨はすっかり上がり日も差してきた.改めて、「その人」がいた場所を遠望してみた.

 そこで、幾つの季節の移り変わり見たんだろうか.仮に何らかの原因で動けなくなってしまい、声を限りの助けを呼んでも届かないむなしさをどういう気持ちで過ごしたんだろうか.此処は栃木県でも屈指の紅葉の名勝だ.素晴らしい光景に誘われて来てしまったんだろうか.残されたカメラのフイルムはどういう風景をとらえていたのだろうか.署員と二人、話は尽きなかった.署員は付け加えた.「これで、家族や身内に会えるかも知れない.安らかに眠れる事だろう」 私は、この沢の名前が「タチキリ沢」というのに何処か因縁めいた物を感じて仕方がなかった.

◆本頁は足尾警察署の了解を得て作成いたしました.ご本人のご冥福をお祈りするとともに
  ご家族の方にお悔やみ申し上げます.


 
追記:約一年後、身元が判明(東京の人)したという、警察からの知らせに少しホッとした.



鹿道?を登って




車道に出る.2本目の電柱の所



矢印の谷辺りが発見場所
 Photo Panasonic DMC-F1 

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当レポは
写真撮影だったり適当に歩いたりで、時間やルートは参考になりません.
仮に当レポを見て行かれる場合は予め情報を収集していただき、計画を
充分に立ててから実行して下さい.